2019年1月19日 香港セミナー「麻里子さん体験談」


私たちが地球に生まれ「3つの手に入れがたい貴重なもの」

 

 

皆さんこんにちは、まりこです。

今日もまたこうやって貴重な体験談のお時間をいただいたことにとても感謝いたしております。

 

今日ここで私の体験談を聞いてくださる皆さまは私はとてもラッキーだと思います。

なぜかというと、実は先生はさっき光話のなかでおっしゃいましたように、私は先生と一緒にインドに行ってまいりました。3日前に帰ってきたばかりでまだ私の頭の中は混乱しております。

たくさんの学びがありました。

すべてが実感でした。

とてもとても大切なことを私はたくさん実感させていただきました。

 

私はインドに行く前から12月に入って、インドに行くための準備をしました。

何の準備をしたかというと、先生とともに学べるこのインドで私は一つ残らず受け取ったことをそれを必要としてくださるすべての兄弟姉妹にお渡しする責任がある、そのためにも私は受け取る準備をする必要がある、と12月に入って強く思いました。

私の決意とともに、内在の神はそれから毎日毎日私を導いてくださいました。

私は10年以上前に読んだ『解脱の真理』の本を改めて今回読まされました。

先生に出会う何年も前にはじめて読んだ『解脱の真理』の本は私にはむずかしくて、私はところどころ拾い読みする程度しか読めませんでした。

そして今回12月に入って毎日毎日この『解脱の真理』を私は学ばされました。

 

先生に出会って今年で10年目に入ります。

上江洲先生にはじめて出会ったときに私ははじめてのヒーリングのとき「やっと会えた、天の父に会えた」その思いだけで、もうあとはずっと最後まで涙が止まりませんでした。

はじめての沖縄セミナーが終わって帰るとき、空港で先生にご挨拶しました。

そのとき心の中で思いました。

「この人は本物だ。私はこれからこの人の背中を見て歩いて行こう」。

今までたくさんの道の教師に出会ってきたけれども、その道の途中の教師にたくさん出会ってきたおかげで私はこの人を「本物だ」とわかることができた。

だから今まで出会った道の途中の教師にすべてに感謝だと思えました。

 

私はこれからこの人の背中を見て歩いていこう。もう私は道に迷うことはない。

そう思った瞬間に先生はおっしゃいました。

 

「姉さん、ついてきますか? 私の道はイバラの道ですよ。石ころだらけ、デコボコだらけ。それでもあなたはついてきますか? バカ、気狂いと呼ばれ、それでもあなたはついてきますか?」

 

私は迷いなく何も考えずに「はい」と答えて、それから10年目に入りました。

いろんなことがありました。

先生はとても優しく、とても厳しく、あるときには混乱するほど厳しい背中を見せて、私のなかに出ているこの答えを先生と確認したいのだけれども、先生はそういうときにかぎって完全無視をなさいました。先生に近づくチャンスさえくださいません。ヒーリングさえ当たりません。先生に確認できれば私は自信がもてるのになぜ確認ができないんだろう。確認ができない以上、私の口からこの言葉は出せない、と私はそう思い、涙を流しました。

 

 

先生の導きは常に常に完璧です。

無視をされながらも、私に確認するチャンスをくださらなくても、それ以上に、どんなに深い愛でこの私を応援してくださっているのか私には伝わってきました。

 

私が先生に対して絶対的な信頼をもった後は、今度は一気に先生は私を突き放されました。

 

私のなかにある神もあなたのなかにある神も同じでしょ?

あなたのなかの神に確認しなさい、と。

 

これは先生の深い深い愛でした。

依存心の強いまりこは、そして気の弱いまりこは先生に無意識に依存したくなってきます。

でも先生は本物のグルでした。

絶対に依存心を私につけさせませんでした。

私を無視して引き離すことによって先生は私が強くなるように、自立するように導いてくださったんです。

セミナーの会場で光話をとおして、明想をとおして、ヒーリングをとおして、先生はいつもいつもたくさんの導きをくださいました。そのおかげで私の頭にはたくさんの点ができていきました。

 

今回、インドに行って、このすべての点が線でつながりました。

そして今まで見えなかった景色がはっきりと見えてくるようになりました。

私ははじめて先生に会ったころ「先生のそばに行きたい」とは思いませんでした。

海外セミナーに参加するときもいつも私は先生から一番離れたところに、でも先生が見える場所に座って、私は1人でいつも座っていました。

あるとき、私よりも学びの長い学びの友が「先生のそばってすごいんだよねえ。もう先生の隣に座ると波動がすごくてすごくて」という言葉を私におっしゃいました。

私はそのとき、先生のそばに行きたいとは思わないけれども、でもその先生のそばの波動は味わってみたいと思いました。

「すごい波動だよ」って、どんなすごい波動なんだろう?と思ったんです。

そうしたら確かノルウェーに行った帰りだったと思うんですが、空港で先生は私に声をかけてくださいました。待合室でフライトの時間を待っているときです。

先生がいらっしゃって、奥様がいらっしゃって、そして先生は私に「姉さん、ここに座りなさい」って先生の横の席を私に「座りなさい」っておっしゃってくださいました。私はびっくりして「畏れ多い」と思ったのですが、先生が「姉さん、ここに座りなさい」とおっしゃいましたので、私はそのまま座らせてもらいました。

 

確かにすごい波動でした。

私はもう味わわせてもらったから、ほかにもきっと先生のそばに行きたい人はいっぱいいるだろうからと思って、私は立ち上がろうとしました。ほかの方に席を譲りたかったのです。

でも先生は「姉さん、いいよ、ずっとここにいなさい」と。フライトの時間になるまで先生の横に座らせてくださいました。私は畏れ多くって、そしてまたありがたくって、緊張しながら感謝しながらその時間を過ごさせてもらいました。

大好きな先生なのですが、先生の前に出ると緊張して私は一言も言葉が出ません。ヒーリングのときもまるで借りてきた猫のように私の口は開かないんです。

親しい友だちの前では「口にガムテープを貼ってあげようか」って言われるくらいおしゃべりしているこのまりこが、先生の前に出ると口が開かないんです。別に猫をかぶっているわけではないんですが、私の口は開いてはくれません。

そういう学びの姿勢のなかで、私は先生の近くで何日も何日も過ごすということは今までにありませんでした。

今度のインドの旅行は私にとってははじめて先生とこれだけ近い距離で毎日毎日朝から晩までともに行動するチャンスをいただいたんです。

あまりにもたくさんの学びがありすぎて、私はもう初日から夜寝る前にはアップアップの状態で、整理がつかない状態でした。

お部屋に入ってからそれでも私は先生の今年の元旦の光話『おめでとう、そしてありがとう』の光話や、5日の無限の『愛の日』の光話はとても大切だと私は実感していました。

なぜ大切なのか? これはこの二つの光話のなかに今回インドに来て私が学んで受け取らなければいけないヒントがこの答えがこの光話のなかに入っていると私は思いましたので、お部屋に入ってから寝る前に私はこの光話を聴きました。

繰り返し繰り返し聴いていくうちに、私のなかで感じるものがありました。

先生がインドの旅を声かけていただいたときから、私はこのインドには深い学びがあると、何か先生がこれから導いていかれる上でとても大切なインドなのではないか、と直感で感じておりました。

 

 

先生は常に常に公平です。誰に対しても完璧に公平です。だから神なんです。

そして先生は常に常に全体を見ていらっしゃいます。

その先生が1月にインドの企画をなさったということは、これは全体にとって大きな意味がある、と私は思いました。

インドに行く人も、行かない人もみんな全員にとって大切な大切な学びのチャンスだと私は感じました。そしてインドでたくさんの実感を味わっていくときに私は思いました。

 

私が受け取ったものを兄弟姉妹に惜しみなく私は渡す責任がある。

 

そしてこれからこの1年はとても大切な大きな流れの変化があるのではないか、と。

分離はありません。インドに行ったのはまりこの肉体ですが、でも、まりこが行ったのではありません。まりこは神の道具として兄弟姉妹のためにまりこはお役に立てるために、まりこのこの肉体を先生は使ってくださったのだと理解しました。

 

行った人も、行かない人もないんです。

全一体なんです。

まりこが受け取ったものを、もし皆さんが本当に素直に共感してくだされば、皆さんもまりこと同じところにいることになるんです。

 

素直な心、謙虚な心、美しい心なくしてこの道は前には進まない。

だから先生が昨年1年間、私たちに「身口意を磨きなさい」と。

「誰かを変えるのではなく、己自身を変えなさい」と。導いてくださったんです。

それができて今年のテーマは、

「生きる聖書でありなさい」「そのものでありなさい」「真理を生きなさい」。

これが今年のテーマです。

 

インドで私が学んだことは最初から最後まで常にどの場所でもどの状況でも先生は「そのもの」でした。

 

今度インドで私は言葉を使って導かれてはいません。

言葉を使って導いてくださらなかったからこそ、私はたくさんの実感を受け取りました。

 

『解脱の真理』を読んだとき、マクドナルド・ベインさんはリンポチェ大使ほか聖人たちに言葉を使って導いてもらっています。『キリストのヨーガ』や『解脱の真理』を読んで、私はあるとき「ベインさんはいいな」と思ったことがありました。「私も言葉を使ってこういうふうに個人的に導いてもらいたいな」。でもベインさんはそれだけのことを受け取る準備をなさったからこそ、それが与えられているのであって、私にそれが与えられないのは私にその準備ができていないからだと私は理解しました。

でも今回、私が学んだことはすごかったんです。

 

言葉を使わずに導ける人が果たして世界にいるだろうか?

 

私は上江洲先生を除いてありえないと思いました。

なぜなら常に常に先生はどこでも、どの状況でも、誰の前であっても「そのもの」なんです。

「そのもの」を見せ続けてくださるんです。

先生の姿には先生が今まで光話で説き続けてくださったその内容がすべて「そのもの」としてありました。

 

「生かして生きよ」。

 

先生は出会うすべての人を生かしていかれます。

先生は決して前には出られません。現地ガイドさんが「先生、明日はどうしましょうか?」って聞かれると「すべてあなたに任せます」とおっしゃいます。

そしてその現地ガイドさんは私たちにいろんなものを提供してくださいました。

あるときにはインドの儀式……お葬式の儀式であったり、それから祭の儀式で会ったり、宗教行事に私たちを連れて行ってくださいました。

 

そこでも先生は完璧でした。私は驚きました。

すべてのことをご存知の上で、すべてのことをわかって行動そのものでありながら、その現地のインド人の儀式をなさる方たちに誰よりも謙虚に手を合わせて頭を下げていらっしゃるんです。

 

今朝の光話にもありましたが「私を生きよ」「命を生きよ」「真理を生きよ」とおっしゃいますように、上江洲義秀の肉体は完璧に神に委ねていらっしゃいます。

そして、すべてのすべてを信頼して宇宙そのものに委ねていらっしゃいます。

 

本物の謙虚さとはどういうことか、と私は先生をとおして実感させられました。

そのものであるとはどういうことか、先生は一言も言葉を使わずに私に実感させてくださいました。

常に愛であり常に調和のなかで、先生がいっらしゃる場所はすべてが愛と調和のなかで一つに溶け込んでいます……動物もウシもサルもイヌももちろんインド人の子どもたちもインド人の宗教儀式をなさる方も、そして私たちもすべて初対面でありながら、先生のいらっしゃるところは、ぜーんぶが溶け込んで、愛そのものになっているんです。

 

これだけのことを見せてくださるグルが果たしてどこにいらっしゃるでしょう。

「知っているよ」って顔は一切なさいません。

 

先生がなさることはまず全体に必ず気配りをして、常に常にその場にいる一番弱者の方に先生は手も差し伸べ、声もかけて、お金も遣っていかれます。

私たちの車を運転してデリーからリシュケシュまで7、8時間バスを走らせてくてれた運転手さんとそれから同僚の方がいらっしゃいました。

最初のドライブ・インで先生は彼らを私たちと同じテーブルで一緒に食事をしましょう、と誘われました。同じテーブルを囲んで彼らは一番端に座りました。お料理が食卓に運ばれてきたとき、先生はその皿を持って、一番最初にそのドライバーさんと助手の方のところに行って、彼らのお皿を一番に埋めてさしあげました。

ホテルでお食事するとき、彼らの姿が夜ありませんでした。先生はガイドさんに聞きました。

「彼らは食事は?」そして「どこに泊まってるの?」と。

「彼らは食事は自由にやります。そしてバスの中で寝ています」っていう答えが返ってきて、今朝の光話でも話されたように、先生は「彼らのホテル代は私が出すから彼らは私たちと同じ仲間ですよ。仲間がそうやってバスの中で寝たり、食事もとれていないのは私にとっては一番辛いことです。彼らもぜひ私たちと同じ状況においてください」と先生はガイドさんにおっしゃいました。

で、今朝の光話で話されたようにインドの運転手さんは「バスは会社から預かっている大切なものだから私たちはバスの中で寝るのが一番なんです」と。

(だから先生のご好意は)ホテル代は出してくださらなくても私たちはバスの中で、駐車場ですから必要なときいつでもバスが出せるように確かにバスの中にいるのが一番バスを守れるんですね。

でも食事は毎日私たちと一緒に毎回テーブルに座ってくださいました。

バスを運転してくださるからこそ、私たちはデリーからリシュケシュまで移動できたんです。バスの運転手さんとその助手の方がいらっしゃったからこそ、私たちはあのインドの学びができました。

だから本当は感謝の気持ちで彼らを大切にするのは当たり前のことなんですが、でもその当たり前のことに果たして何人の人が気づくことができて、何人の人が先生みたいに実行できるんでしょうか。

私は昔ガイドをしていましたから知っています。

お客様がレストランで最高のお食事を召し上がっても、運転手さんやガイドの私はその辺でそそッとあるものをサッと食べて終わりなんです。

私はガイドをやっているときにも、私たちガイドそして乗務員に対して気配り、心配りを示すお客様は確かにいらっしゃいました。でも先生のようにここまでやってくださる人は私は出会いませんでした。

すべてを理解した上で、この宇宙も完璧にわかった上で、そのものとして生きていながら、先生は一切、どんな状況でも分離・差別、波動のブレがないんです。

波動がどれだけ大事か。

ノルウェーの空港でも私は波動を学ばさせてもらいましたが、今度のインドの旅で先生の近くに座らせていただいて、先生の波動の枠の中で私は旅を続けることができたんです。

今まで見えなかった景色が、今まで感じられなかったことが、今まで気づけなかったこと、理解できなかったことが、先生の波動の枠の中にいることによって共鳴して私も受け取ることができるんです。

それがグルとともに学ぶということだと私は理解しています。

 

 

私たちが地球に生まれてきて、3つの手に入れがたい貴重なものがあると、ある聖人の本に書かれていました。

 

 

一つは、肉体をもってこの地球に生まれてこれたこと。

 

もう一つは「神よ神よ神よ」と神を求める段階にまで意識レベルが到達したということ。

 

三つ目は、肉体をもったグルに直接出会って導いてもらえるということ。

 

この中の一つや二つは誰でも手に入れることはできます。

でもこの三つそろって手に入れることができている私たちがどういう状況にいるのか、本当に深く理解したことがあるでしょうか。

 

この三つが手に入るのは神の恩寵なくして、神のご褒美なくして手に入らないそうです。

肉体をもったグルに導いていただけるっていうことはどういうことか。

たとえこの場にいなくても、そのグルは常に常に私たちを導いてくださっていて私たちが道を誤りそうになったときには軌道修正をしてくださるそうです。

 

先生はインドでおっしゃいました。

先生が最後に神からのギフトを大きな体験を受け取ったときに、たまたま私は近くにいましたので先生から直接聞かせてもらいました。

 

姉さん、瞬間なんだよ。

この瞬間しかないんだよ。

 

私がなぜこの瞬間これだけのものを受け取ることができたのか。

常に常に、私は瞬間、瞬間、努力を続けてきたことの結果なんだよ。

まさにそのとおりでした。

光話そのものを先生は実践して常に常に歩いていらっしゃる。

そしてこれ以上にないあの謙虚さを先生以外から誰をとおして私たちは学べるんでしょう。

謙虚の学びは私もいつも意識していましたが、とてもむずかしいと思いました。

 

なぜなら私が本物の謙虚を知らなければ、

私は謙虚のつもりであって謙虚になんかなれないんです。

 

私たちは先生との出会いをもっともっと深く出会いの意味を理解して、

先生が言葉にないところで説いていらっしゃるこの先生の教えを私たちはもっともっと受け取っていかなければ、せっかくこの三つの貴重な条件を手に入れたにもかかわらず、

生かしきれないのではないか、と私は思います。

 

お伝えしたいことがいっぱいあるんですけど時間になってしまいました。

 

皆さまとともに私の学びをシェアさせていただけましたことを心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。