良きものを分かち合い

足りないものは補い合い

ともに手を取り合って

まず己を幸せに

全体 世界を平和へ導ける

万物の霊長としての

あなた方であってほしい

      上江洲義秀

 

わが子たちよ、

心から感謝します。

 

大宇宙に遍満するすべての父よ。

どうかわが子たちに、

より一層の智慧、力、愛が注がれますように。

 

わが愛するわが子たち、

一人も欠けることなく、一人も落ちることなく、

我、あなたの許へ連れ帰りたいと、

常にそれだけを希望し、

喜びに思い、このように導いていることを、

どうか、神よ。

わが姿を常にみてほしい。

 

今生こそ、わが子たちを

あなたの御許へ連れ帰りたいと

私は願っています。

 

どうかわが子たちにも、我にも、

来年こそは、なお一層の

無限の智慧、無限の力、無限の愛が、

わが身に、わが子たちに注がれますように。

どうかお願いしたく思います。

 

 手を取り合って、

無限の大海へ融合していきたいと思います。

 

2023年12月31日 平和への道 新年セミナー『御言葉』

 

明想ホールより撮影 2023年12月22日冬至の朝 


文字起こし 2024年3月12日 香港セミナー『結果の私 原因の私』


我々の生かされている最高目的は、

今生こそ真実の我に帰る

覚醒への道です

 

今まで皆さんが、私、私、と思い、見てきた私。

どの、私、なんだろう?

いつかは朽ち果ていくこの肉体の私。これは、幻覚、錯覚、といいます。

生かされている私が、私、ではありません。

本来の私、本来のあなた方は、すべての存在の本質である原因そのもの。

 

 なぜ結果という肉体の私に、我々は幾転生も幾転生も惑わされてきたんだろう?

 この肉の私は、鏡に向かえば映し見ることもできる。触れることもできる。ゆえに、真実の私と錯覚をしてきたんです。

しかし、原因としての本当の私なんて、鏡の前に立ったって映し見ることはできません。

触れることもできません。

ゆえに我々は、その本当の私を見失ってきたんです。

***************************

小さい時から、

「なぜ神がいるのに、今の世の中、戦争、殺し合いの絶えないこの世界を放っておくんだろう?」

「ヒマラヤにも聖人の方々がいるというのに、そこにいるというのに、なぜこの世界を、平和な世界へ、この地球を平和な地球へ変えてくれないんだろう?」

非常に疑問で、祈って、祈って、祈ったことがあるんです。

だから、その意味は全部答えは、自分の内側から全部引き出せたんです。

私が、たとえばその能力を発揮して、その能力をとおして今、地球を平和にしたとしますよ。

しかし、皆さんの心が、汚れの心があるかぎりは、また戦争を引き起こすんですよ。

これ皆さん、理解してほしい。

 

だから、皆さん一人一人の美しい心が必要なんです。

美しく磨き上げられた光輝く、愛輝く、皆さん一人一人が欲しいんです。

私が行う瞬間移動、物質化現象の奇跡見たさで80億の人間が集まるよりも、本当に今日の皆さん、熟した魂のあなた方のように、

「世界を美しい世界にしたい」「常に兄弟姉妹を幸せにしてあげたい」。

その美しき愛の心が欲しいんです。

光話より抜粋

 

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文字起こし   2024年3月2日 平和への道『すべてを愛する』


一人を愛せない者は、全体を愛せない者。

全体を愛せない者は、一人も愛せない者。

 

それを何回も何回も繰り返して、そのCDを聞いてほしい。

 

 

パズルを見てみてください。80億のコマを組み立てるとしますよ。

「よし、私はこの一人だけは嫌いだから捨てましょう」「もう言葉遣いが気に食わない。表現が気に入らない。何が気に入らない。だからこれは捨てよう」。

さあ、その一個捨てたがゆえに・・・置き換えてくださいよ。一人愛せないがゆえに、ただ一つのコマを気に入らないゆえに、捨てたがゆえに永遠にこれは完成しませんよ。ここ一つ空いてるかぎり。

理解してくださいよ。一人愛せない者は、全体を愛せない者ですよ。

100名いれば100名、200名いれば200名。80億いれば80億。一人だって欠けてはダメなんですよ。80億で完璧な組み立てができるんですよ。

一人愛せない者、皆さんがたった一人愛せないがゆえに、全体を愛せていないですよ。

 

すぐわかりますよ。ウソついているかは。

一人愛せない者は、全体を愛せない者。

また全体を愛しきれない者は、一人も愛していないですよ。

もう、これが皆さんが本質に到達するための最高な学びですよ。

そこが理解できずして、皆さんが、

「そう言ったって、一人はどうしてもどうしても嫌な人間がいる。どうしても嫌い。どうしても憎い。どうしてもゆるせない」。

不可能ですよ、本質の世界へは。

光話より抜粋

 

 

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2024年2月2日 平和への道『すべてはひとつの命に生かされている 全一体』


 ●私が、すべては一つの命に生かされ、全一体なんだと、それを今日、朝もヒーリング中に説きました。ちょうど前回のセミナーの時、Tさんがカサブランカ一輪。またこのように桜の枝を1本ずつ4つのテーブルに活けてくれました。

完璧に見せられました。この3つのテーブルに活けられているカサブランカは、もう枯れてグシャグシャ。で、林社長のテーブルに活けられているカサブランカは1週間、2週間、まあ2週間以上だったと思います。それ以降、私は見ていませんから。まだまだ元気で美しく咲きほこっているんです。

何の差だったんだろう?

 

* * * * * * * *

 

(2025年の海外セミナーについて)

●香港はどうしてもここに来れない中国の方々が学びやすいという国です。だから香港だけのセミナーをおいて、あとはすべてキャンセルという方法を取りました。

いつも説いているんです。皆さんの前では「これから苦しみ生きる兄弟姉妹や、熟した魂の兄弟姉妹が、大波のようにこの研修センターに押し寄せてきますよ」と説いています。じゃあ、そのときに迎えるスタッフの方々が、その兄弟姉妹を包める愛の器でなければどうなりましょうか。

愛の波動に包まれ、完成に至るために全国からこのように参加してくださるんですよ。それを誰よりも理解しています。だから神に(できるかぎりの時間を使い、明想という手段を通して磨き上げてほしい)そう一言、言われたとき、即、私はすべてのセミナーをキャンセルしました。もう、まだニュージーランド、一回もセミナースタートしていないですよ。すでにドンドンさんのほうに来年の3月もまたニュージーランド、でまた何回かハワイ、そういうふうにスケジュール、計画は立てていたんです。「すべてキャンセルします」と。

己自身が一点の曇り、汚れなき、影を映すことなく、完璧な状態であってこそ、このセミナーはいいカタチで進みいくことができるんであって・・・ 

光話より抜粋

 

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平和への道 質疑応答 2023年12月3日「座して神を拝むことなかれ」


質問:

先生ありがとうございます。そして仲間の皆さん、質問するチャンスを与えてくださって感謝いたします。今回は日本に来て、仲間たちといろいろなやり取りをするなかで、ひとつ気づかされました。

ある出来事に対して、皆さんはいつもポジティブに前向きに考えるけど、私はいつもその度にネガティブな思いをもってしまうんですね。これは自分が背負っている一つの思いグセだと気づきました。いつもネガティブな方向に考えてしまう、そのクセによって落ち込みやすい・・・そのネガティブな思いグセはどのようにして切り替えることができますか?

 

 

先生:

切り替え方はそれぞれ皆さん違う。

私の切り替え力は自慢ではないけど、「世界一か」と言われるほどと言いましたよね。じゃあ「私に真似なさい」と言ったって、できないと思うんですよ。

だからその切り替え方は、自ら努力していちばん自分自身にはどういう方法が当てはまるんだろう・・・そういうふうにやっぱり追究していかないといけない。

 

たとえばですよ、私が晶晶ちゃんに怒りを出そうとしますよね。で、また元子さんにうらみを出そうとしますよね。

四十何年の体験で私が友だちや学びの友に教えたのはね。怒りが出ようとするとき、またうらみが出ようとするとき、一歩そこに立ち止まってね、

 

 

吸う息は愛なり、吐く息は愛なり。

 

 

それを5回、6回、7回くらいではね、だいたいもう友だちは(感情が)収まって、これがいちばん良い方法だと言われました。

 

で、あなたの友だちはポジティブな良い思いをしているけど、あなたはすぐ悪い方向に思うクセがあると言いますよね。

じゃあ、あなたは、たとえば8時の飛行機に乗らなければならない。まあ仕事の都合でも、とにかく用事で、8時の飛行機に乗りたい。あるいはバスでもいい。しかしそこにあなたは9時か10時に着いてしまって、その飛行機は飛んでいってしまった。バスでもいい。そのときあなたはどう思うのか?

 

 

 

質問者:

今まで学んできて、今の自分だったら、このような状況があらわれたら、「もういいんじゃないか」ってそう思うようになりました。「すべては良いあらわれ」だと。「今回のこのフライトに間に合わなくても、きっと神の導きの下で何かを私に学ばせて、また私を成長させるところがある」と思います。

 

 

 

先生:

「いいんじゃないか」という思いには二通りありますよ。

努力もせずに、努力もせずに飛行機は飛んでしまった・・・「いいんじゃないか」。

これは大きな間違いですよ。

 

今はね、沖縄行くにも北海道に行くにも、どこに移動するにも、あるいは東京、横浜、どこのセミナーに移動するにも、すべてスケジュールは、だいたいドライバーの方々に任せているの。

で、私が一人で運転し、移動している当時・・・沖縄、北海道、どこにでも全部、自分で運転して何十年もやってきたの。

で、たとえば沖縄に行くのに8時の便に乗りたい。必ず私はこれから計算して5時間の余裕をもって私は走っていましたよ。

で、その状態で努力しながらも、この飛行機が飛んでしまったならば、「ああ、これは私の乗るべき飛行機ではなかってのかな」って私はそう思う。

しかし、努力もせずにその飛行機が飛んでしまったならば私は後悔しますよ。

どこに至らなさがあったんだろう? なぜそうしたんだろう? 

で、そこまでの時間の余裕を(なぜ)みれなかったのか、(なぜ)努力ができなかったのか・・・って、私はそれは絶対に「ああ、よかった」とは言わないですよ。

 

皆さんにいちばん理解してほしいのは、努力もせずに「神よ、神よ、神よ」では、絶対にあらわれないということを知ってほしいですよ。

 

 

それを「座して神を拝む」というんですよ。

努力に努力を積み重ねて、神はあらわれるんですよ。

 

 

林社長は今、中国で大事な仕事でここを離れています。で、昨日、今日、晶晶ちゃんの携帯にメールが入りました。

本来ならば、普通の状態ならば解決不可能という問題を、「こういうことが起こるんだろうか!?と思うほど、奇跡、奇跡、奇跡で、すべての抱えている問題は解決できた」という喜びのメールをいただきました。

 

問題というのは、ただ顔も見られない、目と目も向き合うことはない、ただメールや電話では絶対、解決できぬものがあるということを知ってほしいって、「このセミナー終わったら、即、飛んで行け」って、林社長を追いやったんですよ。

もう本来は、解決不可能とされている問題が、二転、三転、四転・・・もうこれは奇跡、奇跡、奇跡ではないかという奇跡の連続で、すべて上手く解決できたという喜びのメールが入りました。

それは林社長の努力の結果ですよ。

座ってどうにかなるだろうでは絶対になりませんよ。

 

林社長が離れたおかげで、私が三日間、明想誘導、質疑応答に立たされて、私、自らが成長した思いですよ。

林社長(がいる方角は)向こうですよね・・・「林社長、心から感謝します。たまには私を成長させるために、中国の仕事でここを離れてください、たまには…」。毎日って言ったら怒られますからね、たまには。

努力に努力を積み重ねて、「はい、これでよし」ですよ。

 

座して神を拝むことなかれ。

盲信・狂信、偶像崇拝することなかれ。

 

たとえば我々が、私の位置というスタートラインから、晶晶ちゃんの立っているゴール地点まで、ここに今、参加しているみんながスタートラインに立ちます。

元子さんは一歩も進まない。ただ「神よ、神よ」。何も変わりません。何も得るものはありません。

しかし私は、一歩進んだならば、進んだ一歩分、ゴールを縮めてますよ。二歩進んだ者は二歩の分、ゴールを縮めてますよ。これ真理ですよ。

 

ここまで至るには、8時間も寝ている状態でここに至ってないですよ。1時間寝るか、1時間半寝るかの状態で、努力に努力を積み重ね、血を吐く思いで努力をしてきたんですよ。

“悟り”というものは、道端に転がっている石コロを拾うように、悟りではないですよ。

 

だから、切り替えというのは、たとえバスを逃したって、飛行機を逃したって、

「ああ、これでよかったんだ」・・・ただそういう思いであってはいけないですよ。

努力に努力を積み重ねて、それでもバスに、あるいは飛行機に間に合うことができなかったならば、「ああ、私が乗るべきではなかったのか」って言えるんですよ。

 

モンゴルに帰られたらね、そういう努力、そういう方法を身につけてください。

幾転生という転生を我々は、人間意識・肉体意識・個人意識という偽我で生きてきたんだから、誰にも思いグセ、悪いクセ、悪習は潜んでいます。

それを我々は一つ一つすべてを、今生すべてを浄化させるために、すべてを解決するために、一人一人ここに努力しているんですよ。

 

正しい努力は必ず実ります。

今生、怠けた者は、来生に苦労します。

なぜならば、必ずやこの道は通ってこそ完成があることを私は知っているから。

 

だから、今生、努力する者は実ります。

今生、怠ける者は、必ず苦労します、来生に。

だからただ、「やるか」「やらないか」だけですよ。

 

あの、今日このセミナー終わってモンゴルに帰られたら、皆さんの仲間ね、学ぶ仲間たちに全部それを教えてあげてください。

 

 

 

質問者:

先生、すみません。先ほど答えさせていただいたんですけれども、それは自分のすべての心の思いではなかったです。いくら努力しても、余裕をもっていても、飛行機に間に合わなかった・・・そんな状況にぶつかったとき、やはり最初は落ち込んだり、後悔、悔いを感じるんです。そのあと切り替えて、「いいんじゃないか」「それもよかった。乗るべきものじゃなかった」と切り替えたから、そうに思えるようになるんです。

もしも何も努力せずに、時間の余裕も持たずに、それで飛行機に間に合わなかったら、とことんまた後悔します。さっきは緊張しながら答えさせていただいたんですけれども、すべての答えではなかった。申し訳ないです。

 

 

 

先生:

今の思いで良いですよ。私もそのような思いでここまで努力してきたんだから。

 

努力に努力を積み重ねてできぬならば、もうあとは“神の御心”ですから。

「委ねます」ですよ。

 

いちばん大切なことは、そこに至るまでに、どの程度の努力をしたかですよね。

どう努力したか。

どの程度努力したか。

 

飛行機のフライト、もう飛行機が飛ぶ2、3分前に走ったんじゃ、もうこれは悔いても悔やみきれないですよ。

しかし、あなたが十分に時間の余裕をみて努力して間に合わなかったら、それはあなたが言うように、「ああ、これは私が乗るべきではなかった」って言えますよ。

それでも時間に余裕をもち、努力に努力を積み重ねてもその飛行機を逃したとする。それを、「ああ、(乗るべきなのは)あの飛行機だったのに…」「私が乗るべきものはあの(乗り遅れた)飛行機…」・・・そこからは執着なんですよ。

だから、“執着”という意味を皆さんはなかなか(正しく)捉えることができなかったけれど、それを執着というんですよ。

 

物や物質でも、“大事にする”のと、“執着”とは違いますよ。

 

たとえばですよ。私は仕事を終わって、まあこの部屋でも、また山梨でも、仕事を終わったら必ず置くべき位置にこの時計は置きます。

で、皆さんがその物質・物を、置くべき所ではなく、今日はここに置いてみたり、明日はここに置いてみたり、もう皆さんがメチャクチャな状態でこれを失ったとするならば、それは後悔しますよ。あちこちに投げ捨てて、それを失ったならば後悔するし、粗末にしている姿ですよ。

しかし、私が完璧に常に置くべき場所に置いていながら、これが失われたとするならばね。「ああ、私への役割は終えて、次に必要な者のところに届いた」って私は言えますよ。

しかし皆さんが、あちこちに投げ捨てていながら、それを失って、

「ああ!私の時計は? 私の時計は?」では、もう執着ですよ。

だから大事にしているのと執着とは違いますよ。

私はいつも大事にしていますよ。だから、置くべき場所に完璧にそこにありますよ。

それをもし失ったとするならば、「これは私への役割は終わり。おそらく晶晶ちゃんに役割があってそこに届いたんだろう」って、私はそう言える。

今のあなたの思い、あなたの方法で私はベストだと思います。はい。

 

 

質問者:

先生ありがとうございます。よくわかりました。


「深き明想でありますように」「良き明想に入れますように」〜光話より抜粋〜


私がヒーリングが終わった後に、多くの方々に、

 

 

「深き明想でありますように」「良き明想に入れますように」

 

 

何の意味だったんだろう?

「目を閉じて、肉体朽ち果てるまでそこに座っていよ」という意味なんだろうか?

 

40年、同じことを説いてきていますよ。

 

 明想とは、

 

己が神として、すべてに愛の観れる自分

愛の思える自分

愛の語れる自分

愛の表現ができる自分こそが

これが明想と説いてきていますよ。

 

ならば私が、「良き明想に入れますように」「深き明想に入れますように」という意味は、

 

すべてのすべてあってあるものに

神として愛の思える

愛の観れる

愛の語れる

愛の行為のできるあなた方であれ

 

というのが、私が40年説いてきた

「良き明想に入れますように」という意味ですよ。

 

だから何十年も、明想とは目を閉じて、山や洞窟にこもって肉体朽ち果てるまで、そこに座っていることではなく、何を思うも、何を語るにも、何を見ようにも、何を表現の中にも、神として愛そのものであれ、という意味ですよ。

 

世の中には「肉体朽ち果てるまで目を閉じて座っていれば悟れる」と勘違いしている方々がいます。何を勘違いするんだろう?

 

じゃあ、目を閉じて座っているときは、

我、神なり

我、命なり

目を開いて立ち上がって動き出したときは、

我、偽我なり

 

それが明想なんだろうか?

我々は、この体を前に向けようが、後ろに向けようが、左に向けようが、右に向けようが、

常にすべてを神なる愛として感じ観れて、真実、本来の明想ということを知ってほしいんです。

 

明想は飾りものではありません。

 

ただ自己満足に座って、目を閉じることが明想ではありません。

 

 

2023年5月6日平和への道 光話『原因に酔うは至福への道』より

 


“正しい明想について” 2013年1月9日中標津『永遠の伴侶』より抜粋


 

山梨のみんなの家のお手洗いの壁、ドアの後ろのほうで、いつも皆さんがお手洗いに入ったら必ずそれが見られるように、文字起こしが2枚、何年か前からずっとそこに貼ってあります。その内容については、2013年1月9日、ちょうど先生の中標津の時の光話でした。

『永遠の伴侶』という光話のタイトルでした。

先生はそのときの光話の中で、はっきりと正しい明想の内容について、正しい明想のやり方について、はっきりとその時からずっと同じ内容を説き続けてきました。

【2023年5月10日の中標津セミナーの明想誘導にて、林社長のお話より】


 

 

本来、すべては完全のなかに創造され、完全そのものであることを知らねばなりません。

だからこそ、お釈迦様も八つの正しき道を説かれました……八正道。

正しく思う、正しく見る、正しく語る、正しく聞く。正しく仕事をする、正しく生活をする、正しく努力をする。で、最後には定めに入る…神との合一。

 

 

日々を生きる身口意が、いかに大切であることかを皆さんは理解してもらいたい。

肉体が朽ち果てるまで目を閉じて明想、明想に明け暮れたところで、目を見開いて立ち上がって、身口意を粗末に生きるならば、誰が不愉快な思いをしようが、苦しもうが、傷つこうが、

言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題・・・神との合一は不可能ということを知らねばなりません。

 

 

賢い者は、身口意を正し生きるとともに、正しい明想を努力します。

永遠の伴侶を見出したいならば、その両方は不可欠なもの…バランスで生きねばならぬことを知ってもらいたい。

原因と結果が表裏一体であるように、真我一体の境地に至りたいならば、

身口意を正し生きるとともに、正しい明想は不可欠なものであることを知ってもらいたい。

表裏一体であることを知らねばなりません。

 

 

だから今まで多くの学びが、

心は正すことはない。

身口意は正すこともない。

言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題。

それでただ「明想せよ」と教え説いたグループが、憑依を受けて気狂いになった者、

憑依を受けて命さえも失った者、そういう現象をさまざま見てきたことを知らねばなりません。

 

 

だからこそはっきり言えることが、身口意を正さずして、いい明想に入ることは不可能ということを説いていることを知ってもらいたい。

 

 

ただ目を閉じて座っているときだけは「神なり」「愛なり」。

目を見開いて立ち上がったときは、肉を我として偽我生きるならば、何の明想か、と言います。

 

 

24時間、与えられている時間、一年365日、

永遠に我々は、「神と我とは一体なる境地」でなければなりません。

 

 

神との合一がなされた者に、言葉で、思いで、表現で、誰を傷つけ、苦しめることがありましょうか。

愛いかすことはあっても、決して相手を破壊に追いやることはないことを知ってもらいたい。

 

 

すべての実体が、唯一の神、唯一の愛、唯一の真理を理解しているからではないでしょうか。

分離・差別なるものはどこにも存在しません。

全体なる無限から分離して生きれる人間は世界に一人もいないことを知ってもらいたい。

 

 

今、即、全体の中に生かされ、

全体愛は即、あなた方を通して生きていることを知ってもらいたい。

 

 

だからこそ、カタチ大きかろうが、小さかろうが、

宇宙を動かすその愛の力も、唯一の愛であることを知ってもらいたい。

 

 

愛は命です。

命は神です。

神は真理です。

 

 

その真理こそが、あなた方が幾転生も求めてきた、これこそ「永遠の伴侶」であることを知らねばなりません。

 

 

じゃあ、永遠の伴侶を宿さぬ者が一人だっているでしょうか。

どこで会えましょうか。

外という結果を求めても永遠の伴侶は見出せません。

神はわが内にあり。いまだかつて人手に渡ったことはない。

神を外に求ることなかれ、神はわが内にあり。

これこそ「永遠の伴侶」であることを知ってもらいたい。

 

じゃあ、いつどこで会えるのか?

 

それはあなた方の努力いかんと言います。

ただ座して神を拝んで、動かぬ仏像の前で、盲信・狂信、偶像崇拝に明け暮れても、永遠の伴侶との合一は、見出すことは不可能であることを知ってもらいたい。

 

努力にも正しい努力と、虚しい努力があるということを知ってもらいたい。

お釈迦様もはっきりその「努力」を説いています。

八正道のなかに「正しい努力」を説いていることを知ってもらいたい。

だから無駄な努力ではなく、価値ある正しい努力で、皆さんは一歩一歩、前進できるあなた方でありますように。

 

座して神を拝んだ者が、盲信・狂信、偶像崇拝に明け暮れた者が、

神を悟って「神と我とは一体なり」の境地に至った人間が世界に一人だっているのか。

 

一人もいないことを知ってもらいたい。

 

 

2013年1月9日中標津やすらぎの郷『永遠の伴侶』より

 


ふれ愛の会の創始者・岩波百合子さんの著書『大海の「真」Ⅲ』通販のお知らせ


●『大海の「真」Ⅲ』岩波百合子氏著

 2022年11月23日「大海の真プロジェクト」刊 /1500円

 

山梨・ふれ愛の会の創始者である岩波百合子さん(故人)の著書『大海の真Ⅲ』が出版されました。本書は、既刊の『大海の「真」Ⅰ』(1998年刊)、『大海の「真」Ⅱ』(2003年刊)に続く第三作・完結編であり、仲間内でひっそりと回し読みされてきた冊子(2004年〜2010年)の集大成です。

 

緑滴る地球を子や孫に残したいという切実なる思いのもと、長年、上江洲先生のセミナーを支えてこられた岩波さんの夢やインスピレーションを通してとらえたストーリーが、美しい文字霊となり展開しています。上江洲先生のご存在、琉球沖縄の役割や重要性、かつての上江洲先生のお姿を垣間見ることもできる興味深い一冊です。

 

通信販売をご希望の方は、①お名前、②ご住所、③冊数を明記の上、kouwashoten@gmail.comまでメールにてお申し込みください。メールを確認後、ご連絡させていただきます。

 


上江洲義秀先生、ご誕生70周年企画「あなたがいたから」セミナー会場にて販売中


「あなたがいたから」オールカラー/436ページ

あなたがいたから中国・日本 編集チーム制作編集 3000円(税込)

 

 上江洲先生のもとで学ぶ 世界中の友の投稿による真理の書『あなたがいたから』がついに完成しました。

応募に寄せられた ひとりひとりの命の物語、真理への気付き、スピリチュアル・アート作品や美しい写真など、本を開けばそこには一にして多身の愛の表現が散りばめられています。光話の抜粋や明想指導も収録し、盛り沢山の内容です。販売コーナーを設置しているセミナー会場におきましては見本もご用意し、内容をご覧いただくこともできます。

 

読者の方から寄せられたご感想および、編集スタッフによる推薦文を一部ご紹介させていただきます。

 

・この御本には、愛が溢れる程いっぱい詰まっています。上江洲先生の愛学が、世界の仲間達に浸透し広がっている様子が垣間観れる、波動美しい最高傑作の一つだと私は想います。    

 ・この本から、改めて先生から戴いたものの大きさを教えて頂きました。

一秒でも速く、この愛を全てのものに御返しする事が、先生への真の恩返しに成ると実感しました。気付き多い素晴らしい本だと思います。

 ・「苦しき者よ幸いなり」。真摯に学ぶ友の 包み隠さぬ体験談から、真っ暗闇のどん底の体験もいつか美しい宝物になるのだと教えられました。

  ・神への愛、神からの愛、どちらも感じることができる一冊です。

 

※『あなたがいたから 』は販売コーナーを設置している全国のセミナー会場にてお買い求めいただけます。その他、通信販売の受付もはじめました。どうぞご利用ください。

お問い合わせは『あなたがいたから』日本人編集チームまで。メールアドレス:anata70@googlegroups.com


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光話や質疑応答で説かれたメッセージや学びのなかの情報などをお届けしていきます。