この度、上江洲書店プロジェクトは
「こうわ書店」と名称を改めました。
心機一転、お役に立てる活動を目指し、より一層の努力をしてまいりたいと思います。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
良きものを分かち合い
足りないものは補い合い
ともに手を取り合って
まず己を幸せに
全体 世界を平和へ導ける
万物の霊長としての
あなた方であってほしい
上江洲義秀
今日の明想で観せられているかぎり、誰にも同じ24時間が与えられていますよ。
24時間、どれほど皆さんが内に意識を向け、どれほど成長しているんだろうと意識したときに、99%は自分を下げているんですよ。
なぜ神が観えないんだろう?
なぜ愛が感じられないんだろう?
それは、常に常に外、外、外、という無常なところに、外という結果に目を向け、思いを向け、そう生きているという証ですよ。
24時間、99%は己を成長させているどころか、落としているんですよ。
「ああでもない」「こうでもない」、取るに足らないもので論じ合って、意見言い合って。何の価値がありましょうか。
* * * * * * *
今年23年、私が皆さんにいちばん言いたいのは、外に生きている方々の中にあまり首を突っ込んでほしくない。そこでまた皆さんはまた曇らし曇らし合うんですよ。汚し合うんですよ。
まず、己自身が神を完全に感じ観れる己まで高めてほしい、今年の23年は。
己自身を成長のために、で、神として確立するために、今年の23年の一瞬一瞬与えられた時間は使ってほしいと、私は願いますよ。
* * * * * * *
この前の研修センターで説いたそのタイトル、はっきり皆さん染めてくださいよ。
一つの名。一つの顔。一名一顔(いちめいいちがん)と私は説きましたよ。
この人の前に立つ顔、この人の前に立つ顔で、違ってはいけないんですよ。
無限の大愛の顔ならば、誰の前に立ったって、何十億の人間の前に立ったって「一顔」ですよ。
なぜ皆さんは顔色を変えるんだろう?なぜこの者の前に立って、あの者の前に立てば、またその顔のまたその表情そのものを変えるんだろう?
神の名は、何十億の前でも「神の名」ですよ。
愛の名は、何十億の前に立ったって「愛の名」ですよ。
今年の23年というこの年を、どれほどの方が、
一つの名をもってすべての前に立てるか。一つの顔をもってすべての前に立てるか。
楽しみに見ていますよ。
2023年1月11日中標津やすらぎの郷『無限にたつ』より
質問:
何人かが同じ質問をしても、それに対する先生の答えが一人一人違うので、中国の参加者の間では、たとえば「私は特別」という思いをもつ人には、わざとそれを膨らませて落とすという目的で答えているのはないか、と話し合っていますが、本当にそうなのでしょうか。私は真理を学ぶなかで、先生の言葉を深読みせずに素直に聞いて導き通りにしています。ですが、まわりのそういった話を聞いて先生の言葉を信じて良いかどうかわからなくなりました。
🗓2015年1月5日東京セミナー質疑応答より
私がヒーリングが終わった後に、多くの方々に
「深き明想でありますように」「良き明想に入れますように」
何の意味だったんだろう。
「目を閉じて、肉体朽ち果てるまでそこに座っていよ」という意味なんだろうか。
40年、同じことを説いてきていますよ。
明想とは、
己が神として、すべてに愛の観れる自分、
愛の思える自分
愛の語れる自分
愛の表現ができる自分こそが
これが明想と説いてきていますよ。
ならば私が、「良き明想い入れますように」「深き明想に入れますように」という意味は、
すべてのすべてあってあるものに
神として愛の思える
愛の観れる
愛の語れる
愛の行為のできるあなた方であれ
というのが、私が40年説いてきた
「良き明想に入れますように」という意味ですよ。
だから何十年も、明想とは目を閉じて、山や洞窟にこもって肉体朽ち果てるまで、そこに座っていることではなく、何を思うも、何を語るにも、何を見ようにも、何を表現の中にも、神として愛そのものであれ、という意味ですよ。
世の中には「肉体朽ち果てるまで目を閉じて座っていれば悟れる」と勘違いしている方々がいます。何を勘違いするんだろう?
じゃあ、目を閉じて座っているときは、
我、神なり
我、命なり
目を開いて立ち上がって動き出したときは、
我、偽我なり
それが明想なんだろうか?
我々は、この体を前に向けようが、後ろに向けようが、左に向けようが、右に向けようが、
常にすべてを神なる愛として感じ観れて、真実、本来の明想ということを知ってほしいんです。
明想は飾りものではありません。
ただ自己満足に座って、目を閉じることが明想ではありません。
2023年5月6日平和への道 光話『原因に酔うは至福への道』より
山梨のみんなの家のお手洗いの壁、ドアの後ろのほうで、いつも皆さんがお手洗いに入ったら必ずそれが見られるように、文字起こしが2枚、何年か前からずっとそこに貼ってあります。その内容については、2013年1月9日、ちょうど先生の中標津の時の光話でした。
『永遠の伴侶』という光話のタイトルでした。
先生はそのときの光話の中で、はっきりと正しい明想の内容について、正しい明想のやり方について、はっきりとその時からずっと同じ内容を説き続けてきました。
【2023年5月10日の中標津セミナーの明想誘導にて、林社長のお話より】
本来、すべては完全のなかに創造され、完全そのものであることを知らねばなりません。
だからこそ、お釈迦様も八つの正しき道を説かれました……八正道。
正しく思う、正しく見る、正しく語る、正しく聞く。正しく仕事をする、正しく生活をする、正しく努力をする。で、最後には定めに入る…神との合一。
日々を生きる身口意が、いかに大切であることかを皆さんは理解してもらいたい。
肉体が朽ち果てるまで目を閉じて明想、明想に明け暮れたところで、目を見開いて立ち上がって、身口意を粗末に生きるならば、誰が不愉快な思いをしようが、苦しもうが、傷つこうが、
言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題・・・神との合一は不可能ということを知らねばなりません。
賢い者は、身口意を正し生きるとともに、正しい明想を努力します。
永遠の伴侶を見出したいならば、その両方は不可欠なもの…バランスで生きねばならぬことを知ってもらいたい。
原因と結果が表裏一体であるように、真我一体の境地に至りたいならば、
身口意を正し生きるとともに、正しい明想は不可欠なものであることを知ってもらいたい。
表裏一体であることを知らねばなりません。
だから今まで多くの学びが、
心は正すことはない。
身口意は正すこともない。
言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題。
それでただ「明想せよ」と教え説いたグループが、憑依を受けて気狂いになった者、
憑依を受けて命さえも失った者、そういう現象をさまざま見てきたことを知らねばなりません。
だからこそはっきり言えることが、身口意を正さずして、いい明想に入ることは不可能ということを説いていることを知ってもらいたい。
ただ目を閉じて座っているときだけは「神なり」「愛なり」。
目を見開いて立ち上がったときは、肉を我として偽我生きるならば、何の明想か、と言います。
24時間、与えられている時間、一年365日、
永遠に我々は、「神と我とは一体なる境地」でなければなりません。
神との合一がなされた者に、言葉で、思いで、表現で、誰を傷つけ、苦しめることがありましょうか。
愛いかすことはあっても、決して相手を破壊に追いやることはないことを知ってもらいたい。
すべての実体が、唯一の神、唯一の愛、唯一の真理を理解しているからではないでしょうか。
分離・差別なるものはどこにも存在しません。
全体なる無限から分離して生きれる人間は世界に一人もいないことを知ってもらいたい。
今、即、全体の中に生かされ、
全体愛は即、あなた方を通して生きていることを知ってもらいたい。
だからこそ、カタチ大きかろうが、小さかろうが、
宇宙を動かすその愛の力も、唯一の愛であることを知ってもらいたい。
愛は命です。
命は神です。
神は真理です。
その真理こそが、あなた方が幾転生も求めてきた、これこそ「永遠の伴侶」であることを知らねばなりません。
じゃあ、永遠の伴侶を宿さぬ者が一人だっているでしょうか。
どこで会えましょうか。
外という結果を求めても永遠の伴侶は見出せません。
神はわが内にあり。いまだかつて人手に渡ったことはない。
神を外に求ることなかれ、神はわが内にあり。
これこそ「永遠の伴侶」であることを知ってもらいたい。
じゃあ、いつどこで会えるのか?
それはあなた方の努力いかんと言います。
ただ座して神を拝んで、動かぬ仏像の前で、盲信・狂信、偶像崇拝に明け暮れても、永遠の伴侶との合一は、見出すことは不可能であることを知ってもらいたい。
努力にも正しい努力と、虚しい努力があるということを知ってもらいたい。
お釈迦様もはっきりその「努力」を説いています。
八正道のなかに「正しい努力」を説いていることを知ってもらいたい。
だから無駄な努力ではなく、価値ある正しい努力で、皆さんは一歩一歩、前進できるあなた方でありますように。
座して神を拝んだ者が、盲信・狂信、偶像崇拝に明け暮れた者が、
神を悟って「神と我とは一体なり」の境地に至った人間が世界に一人だっているのか。
一人もいないことを知ってもらいたい。
2013年1月9日中標津やすらぎの郷『永遠の伴侶』より
●『大海の「真」Ⅲ』岩波百合子氏著
2022年11月23日「大海の真プロジェクト」刊 /1500円
山梨・ふれ愛の会の創始者である岩波百合子さん(故人)の著書『大海の真Ⅲ』が出版されました。本書は、既刊の『大海の「真」Ⅰ』(1998年刊)、『大海の「真」Ⅱ』(2003年刊)に続く第三作・完結編であり、仲間内でひっそりと回し読みされてきた冊子(2004年〜2010年)の集大成です。
緑滴る地球を子や孫に残したいという切実なる思いのもと、長年、上江洲先生のセミナーを支えてこられた岩波さんの夢やインスピレーションを通してとらえたストーリーが、美しい文字霊となり展開しています。上江洲先生のご存在、琉球沖縄の役割や重要性、かつての上江洲先生のお姿を垣間見ることもできる興味深い一冊です。
通信販売をご希望の方は、①お名前、②ご住所、③冊数を明記の上、kouwashoten@gmail.comまでメールにてお申し込みください。メールを確認後、ご連絡させていただきます。
「あなたがいたから」オールカラー/436ページ
あなたがいたから中国・日本 編集チーム制作編集 3000円(税込)
上江洲先生のもとで学ぶ 世界中の友の投稿による真理の書『あなたがいたから』がついに完成しました。
応募に寄せられた ひとりひとりの命の物語、真理への気付き、スピリチュアル・アート作品や美しい写真など、本を開けばそこには一にして多身の愛の表現が散りばめられています。光話の抜粋や明想指導も収録し、盛り沢山の内容です。販売コーナーを設置しているセミナー会場におきましては見本もご用意し、内容をご覧いただくこともできます。
読者の方から寄せられたご感想および、編集スタッフによる推薦文を一部ご紹介させていただきます。
・この御本には、愛が溢れる程いっぱい詰まっています。上江洲先生の愛学が、世界の仲間達に浸透し広がっている様子が垣間観れる、波動美しい最高傑作の一つだと私は想います。
・この本から、改めて先生から戴いたものの大きさを教えて頂きました。
一秒でも速く、この愛を全てのものに御返しする事が、先生への真の恩返しに成ると実感しました。気付き多い素晴らしい本だと思います。
・「苦しき者よ幸いなり」。真摯に学ぶ友の 包み隠さぬ体験談から、真っ暗闇のどん底の体験もいつか美しい宝物になるのだと教えられました。
・神への愛、神からの愛、どちらも感じることができる一冊です。
※『あなたがいたから 』は販売コーナーを設置している全国のセミナー会場にてお買い求めいただけます。その他、通信販売の受付もはじめました。どうぞご利用ください。
お問い合わせは『あなたがいたから』日本人編集チームまで。メールアドレス:anata70@googlegroups.com
●「こうわ書店kouwashoten note」から
メッセージの配信をしています!
光話や質疑応答で説かれたメッセージや学びのなかの情報などをお届けしていきます。