●わが人生、一点の狂いなし。
わが人生、一点の後悔なし。
そう言えるあなた方であってほしいために、私は徹底的にとことんそういう厳しさを説くんですよ。後悔してほしくないから。
私があなた方に望むことは金持ちでもない。
この肉体的な美しさでもない。
最高学位を得た者でもない。
地位・名誉を背負っている者でもない。
「命」と聞かされているならば、「我は命なり」というその境地で生きていれるあなたであってほしい。それが私の最高な喜び、最高な希望、私の欲望ですよ。
●ここ要注意ですよ。私に「神よ、どうかこの者に光を、心にやすらぎを」「神よどうかこの者に光を、心にやすらぎを」というその思いを、私から受け取ったとします。それを感じたとするならば、己の修正を徹底的にやらないと、もう来生とんでもない現象を引き起こすということを知ることですよ。
●「私は今日は完璧に身口意を正して生きた」として、なぜ悩みが、なぜ苦しみが、なぜ不調和が、なぜ腑に落ちないことがあるんだろう?と思うなら、表面的には、自分が何気なく語った言葉が、何気なく思ったことが、表現したことが狂っていることを表面的には知らないゆえに、この法則というレベルでは完璧にとらえているがゆえに、やっぱり自分自身の中では心配・不安・恐怖に怯えているってことを知ることですよ。
●皆さんには「身口意を完璧に今日24時間正して生きた」という、表面では皆さん、そう思っているとしますよ。しかし法則というものは針先一点の歪み、ゆがみ、汚れ、曇りを見逃さないんですよ。法則は。