2024年9月12日 中標津やすらぎの郷『思い』


たとえばこの現象の世界で、良い人を“プラス”、悪い人を“マイナス”とします。この現象の世界でですよ。本質においてプラス・マイナスなんてない。もう完全のみが実在です。

もしこの世界に“良い人” “悪い人”と、そこに区別してあるとするならば、良い人をつくっているのも“私”なんですよ。悪い人をつくり、演じているのも“私”なんですよ。

皆さん、どう思いますか? その“思い”というものを。

なぜ同じこの場所に置かれていながら、何の影響も受けぬ者と、もうまわりの影響を受けて苦しみ生きる人間……何の差なんだろう?

たった、たった“思い”の違いですよ。思いの違いで、正しく見れるか、悪く見れるか。正しく語れるか、悪く語るか。で、正しく聞くか、悪く聞くか。もうすべてそれそのものが分かれますよ。

皆さんはここでたとえば、誰かが皆さんに向かって「バカ」っていう言葉を吐き出せば、皆さん「バカ」に聞こえるでしょう。

じゃあ、訓練してきた、訓練されたこの者はどのように聞こえるのか?

天使のささやきに聞こえるといいますよ。天使のささやきに。

 

●私は皆さんに、あえて病人に…この肉体が病んで病人になりなさい、とは言わないけど、我々は病気治しのために人生を歩んでいるんではないですよ。病めば修理、病めば修理、病めば修理……その繰り返しのために我々は今、ここに生かされているんではないんですよ。

健康な肉体であろうが、病気の肉体であろうが、その肉体そのものから己を解き放つために今があるんですよ。

皆さん、ただ病気治し、病気治し、病気治しで死ぬ間際に健康になったとしますよ。その肉体はどこに?墓の下に埋まるんですよ。

 

●皆さん、たとえば今、病んでいる肉体をもう健康にしたとしますよ。明日死んでみてください。この肉体は死後の世界まで、あの世まで持って帰れますか? この肉体は死後の世界、あの世までは持って帰れないですよ。

またあの世、幽界では幽体をまとうんですよ。この肉体はまとってないですよ。幽体をまとうんですよ。だから、いちばん肉体去ったとき混乱する人間は、「我、肉体である」という錯覚で、肉体去っていく者があの世でいちばん混乱していますよ。あるいは、死というものが何たるかを知らない者は、幽界で混乱していますよ。

 

 

 

 

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