●誰を思うにも、誰を見るにも、誰を感ずるにも、上辺に突き出ているこのカタチ・形態ではなく、そこにつながれし無限の意識、無限の生命を感じ取れるように皆さんは努力してほしいんです。
上辺に突き出ているものを皆さんが見るかぎり、思うかぎり、「良いことをしているからこれ善人」「悪いことをしているから悪人、悪い人間」、上辺に突き出ているものを見るかぎりは、善人・悪人、健康な人間・病人…さまざまな観念・概念を描きますよ。しかし、本質を観るときには、すべては美しい、すべては完全…そこに留まります。
で、彼が悪い表現をしているならば皆さん、“悪い人間”とレッテルを貼ります。
で、良いことをしているならば、“善人”、“良い人間”とレッテルを貼ります。
しかし、命というすべてとつながれし側面から観るならば、良いも悪いも、健康も病気も、悟りも迷いもなく、無限にして完全意識、無限にして完全なる命を観ますよ。
かといって、皆さんに人を傷つけたり、人を苦しめたり、人を不愉快な思いをさせてほしいという意味ではないですよ。
上辺に飛び出ているあなた方は、自分の観念や概念でさまざまな表現をそこに顕現するだろう。
このように偽我で生きていくあなた方は、さまざまな観念・概念で描いて、さまざまな表現をそこに創りだします。
観念や概念に、この偽我に、うらみや怒りや嫉妬、あるいはゆるせない、愛せない、憎い、嫌いというその思い、言葉が語れるんであって、真我という本質には“完全”しかないということを知ってほしいんです。
すべてを完全に思い、完全に感じ、完全で観れることを、
これをたとえるならば、“愛”という表現をするんです。
●何十年も皆さんの前に立ち続けてきた目的は、己がつかんだこの至福という喜びを、安らぎを、皆さんと共に分かち合いたい、その思いで何十年もここに立ち続けてきたんです。
あなた方の幸せが、わが幸せ。
あなた方の喜びが、わが喜び。
あなた方の苦しみが、わが苦しみ。
これ、一体感といいます。
全一体・一命一体・自他一体、といいます。
今日も皆さんの前に、
わが愛をあなた方のハートの奥底で感じ取ってほしい。
わが愛をあなた方に留めます。
わが至福をあなた方に留めます。
これが本質 “我”の思いであることを理解してください。
その愛があったればこそ、素晴らしい彼らとの出会いがあったことを知ってほしい。