●朝、林社長が言われたように、昨日から一睡もしておりません。なぜ?
素晴らしいお兄さんたち(初めて参加された現地の方々)との出会いで、昨日もセミナー終わった後、また3名のお兄さんたちと約7時までミーティングをさせていただきました。
で、一人一人の質問に答えてあげました。
いちばん最後の質問・・・“運命”という質問を受けました。
「あなた方はその運命をどう思い、考えているのか?」
昨日ここで答えてくださったあのお兄さん、完璧な答えを返してくれました。
「運命は実在しません」
● 私の脊椎はここで、この状態でズレています。必要あって私は今、その状態を皆さんの前で体験しています。
で、いつかその理由を皆さんに教え、説いていきたいと思うんです。
なぜ私がいつも「我、肉体にあらず、我、本質なり、命なり」と皆さんの前で説いているのか?
同じ条件のなかで、「我、肉体なり」の錯覚で生きる者と、「我は命なり」の自覚を生きる者と、この差を皆さんに教えみせたいんです。
このズレの状態でも、ここでしゃがむことも立つことも全く平気です。
しかし、私がここに映された影の世界に意識を移すならば、これ、皆さんが信じようが信じまいが、私はストレートでしゃがめませんよ。
(テーブルにつかまって)この状態でしゃがみ、この状態でしか立ち上がれないですよ。今、痛いですよ。
肉体意識に意識を置いてます。これがあなた方の姿です!
本質根源に意識を移します(何にもつかまらずに立ち上がりしゃがむ)。
何秒もかかりません。ただ切り替えるだけです。
我、肉体なり。
我、本質なり。
どうでしょうか? 信じられますか? これ演技ですか?
コンマ何秒の切り替えで、この意識を顕現できるか。
ここに支配されて皆さんが生きるか。たったそれだけの差ですよ。
すべての支配者であるべきなのか?
支配されている我であるべきなのか?