2024年5月19日 平和への道③「愛はすべてを癒す」


●これは自慢ではないけど、私、物心ついたときから、神という存在を知りはしませんよ。見えもしませんよ。

しかし、神を疑ったことは一度もないんです。10歳か11歳では、「無限力はわが内にあり」という思いを、閉ざしたことないですよ。

あのモーゼの『十戒』の内容を見ながら、大人は、「映画は作られたもの」としか思っていないんですよ。全部描かれたもの・・・その人間の想像、あるいは観念・概念で。

あの映画を見せられたときは、私の内側では燃えているんです。

モーゼの一つ一つの能力ですよね、顕現した能力・・・海を二つに割り、多くの兄弟姉妹を助けたり、さまざまな能力を顕現しています。

もう私の中で愛の火が燃えて、あれだけもう満席の中で私、立ち上がって、この台に立ち上がって、多くのお客さんの前で叫びたいんですよ。もう止めようがないほど、

「この能力、わが内にあり! 無限力はわが内にあり!」で、もう叫びたくて叫びたくて。しかし、これほど満席の映画館で叫んだら、私は警察官に引っ張られて大変なことだろうなとも思いました。

 

●とうとう私がこの(ジャングルの)真ん中で、動物を助けるために入っているときに、ちょうど(伐採した木に)火を入れる時にきていたんですね。全部、火ですよ。

もう動物が鳥が小鳥が丸焼きどころか、やがて私の丸焼きですよ。ここからここまで何百・・・1キロぐらいあるでしょうね。向こうの広さだったら。絶対にもう、どこにも逃げ隠れする場所もない。

しかしその時から私は、「絶対に死んでも死なぬ」という“命”を見出していました。今の状態で、完璧ではないけど、死んでも死なない。で、命は不死・不滅、永遠であることは、常に観ていました。その思い、ただその思いだけですよ・・・私は死んでも死なない。肉体は焼き鳥になろうが、人間丸焼きであろうが、命という私の本質には何ものも指一本触れることができぬという思いをもったとき、ちょうど結婚式で、花のアーチウェイといいますよね。トンネルができているんですよ。周りは全部、火なのに。1キロも2キロも、これほどの土地を何百メートルを私は歩いて、そのアーチウェイ、そのトンネルを渡ったかは、今はわかりませんけど、もう何百メートル、ちゃんともうガードされて、私が髪の毛一本焼けないようにガードされて助かったことがあるんです。

なぜそういう現象が起こったと、皆さんは思いますか?

神の能力を、神の無限力を、針先一点疑わぬ私の思いに、神はそう為してくれたんですよ。

真剣に真剣にわが内なる神を、常に意識の中で唱えてほしいんです。

神よ、神よ、神よ。わが内なる神よ。

神の耳にタコができるほど神を呼んでみてください。この者に与えないと私は妨げられてと、神が皆さんの「神よ、神よ」の言葉が邪魔になるほど言われたら、この者には早く神を与えたほうがいいと言いますよ、神は。

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