2018年8月21日 命ぬ琉球「ケルビンさん体験談」


「真理はこの瞬間しか実在していない」

 

 

 

7月の沖縄に来る予定だったんですけれども、でもどうしてもあるオーストラリア人の覚醒した先生のセミナーにも参加したくて、だから5月の台湾セミナーの時点で、上江洲先生に、行くべきかどうかをちょっと確認しました。

先生は「ケルビンさん自身の体験も、兄弟姉妹のために役に立つ体験談がいっぱいあるわけですから、だからどんどんいろんな体験をして皆に分かち合って、それを通してみんなも成長していくから行ってもいいですよ」という一言で、7月はオーストラリアに行きました。

で、オーストラリアの1週間のセミナーの間に本当に素晴らしい根源世界についての体験を本当に深く実感できまして、だから今日の体験談の内容の一部分は主にその内容についてみんなにシェアしたいと思います。

 

 

先生がよくおっしゃった


「真理はこの瞬間しか実在していない」

 

この瞬間を簡単に言いますと、

呼吸しているのもこの瞬間だし、今、音を出しているのも、この瞬間です。

もちろん、目の前にあるものが見えることも、この一瞬なんです。

 

だから、あらゆる体験も実はこの一瞬に体験しているわけですよ。

 

極端な話をしますと、5分前の息を吸うことは不可能だし、5分後の息を吸うことも不可能なんです。

5分前の音を聞くこともできなくて、5分後の音を聞くことも不可能なんです。

 

だから私のあらゆる体験も、実はこの瞬間に体験しているわけなんですよ。

本当にこの瞬間を生きる、この瞬間に生きていること自体はもう誰でもすぐわかると思います。

 

 

でも、この瞬間にいないと私はどこに行ってしまうのか?

それはマインドの世界です。

 

私の記憶のなかの過去、あるいは空想の未来に行ったり来たりして、

それは、もう無限の記憶、無限の感情、無限の観念・概念が満ちている世界なんですよ。

だから感じようと思えば、いくらでも感情が無限にどんどん湧いてくるわけです。

 

 

でも、それはこの一瞬の息、この一瞬の呼吸と、全く何の関係もありません。

 

 

で、そうすると、ふっと気がついたことなんですね。

要するに、過去と未来はマインドの世界。

この一瞬は実在している。

で、この一瞬に実在していると、実は、未来もなければケルビンというアイデンティティも成り立たないんですよ。

 

だって、あなたは誰ですか?と聞かれると「ケルビンだよ」と答えた瞬間、実はケルビンというアイデンティティは過去の記憶に関連したものなんですから、もし本当にこの一瞬に生きていたら、言葉さえ出せないんですよ。

だってこのアイデンティティが成り立つことさえできませんから。

もう何をも言わない。もう完全に思考停止な状態なんです。

 

だからもしこの一瞬に生きるならば、たとえば「あなたは誰ですか?」と聞かれたら「本当にわかりません」しか言えないんですよ。

だってケルビンという名前を言うと、また記憶の世界に入ってしまって、この46年間の人生の出来事があったから、このケルビンの名前と、このケルビンのアイデンティティが成立できたわけですから、だから本当にこの一瞬にいる、生きるならば、もう本当に話をすることさえ無理なんですよ。

完全に思考停止なんです。

 

で、この二元性の世界に生活するには、ずっとこの「何者でもない」という状態はちょっと生活しにくいです。

たとえば、元子さんに何か聞かれると、私は当然対応しないといけないんですね。


日本人と香港人文化の違い、あるいはコミュニケーションのスタイルも、それは生まれつきの知識ではないんですよ。

過去46年の経験で日本語を学習したおかげで、やっと日本人の対応はどうするのが一番ふさわしいのか、という知識からそのデータをとらないとコミュニケーションはできないんですよ。

だから、どうしても元子さんとコミュニケーションしないといけない、この二元性の世界に生活するかぎりは、私はこの一瞬から一応離れるみたいな感じで、またケルビンというアイデンティティにはまって、その知識と記憶を全部出して、それでコミュニケーションするわけです。

 

たとえば、このコミュニケーションが一旦終って、この瞬間は別に私がケルビンじゃなくてもいいんだったら、またその何もない、一瞬のこの瞬間の意識にまた戻る。

 

で、朴さんにまた何か聞かれると、また再びこの時間のライン……要するに、過去の私の記憶のデータをまた出して、このアイデンティティがまた成立して、またコミュニケーションをとるわけですね。

で、一旦終ったら、またこのアイデンティティを使う必要がないんですから、一旦手放してこの瞬間にいるという感覚です。

 

この二元性の世界に生きるかぎりは、さっきの話の考えによりますと、

 

私は、この一瞬にいる、何もない、何でもない、純粋な存在でしかない。

あるいは「私はケルビンなんだ」と。

で、このケルビンが動き出すかぎりは、私の知識と記憶も全部、出てくるわけですね。

 

で、この記憶は実は46年だけではなくて、私の過去の輪廻転生の何千万年の記憶も全部つながっているわけですよ。

だから実はこれは先生がよくおっしゃっている「条件反射」ではないかなと私はそう思います。

 

先生の光話の話のなかでは、イヌの鳴き声が聞こえてくる。

「これはイヌなんだ」と認識できたのは、実は私の輪廻転生のなかでそういう記憶があったからそれがわかるわけですよ。だからそうすると、私は2つの選択しかできないんですね。

 

さっき言ったような、この瞬間、何でもない、何もない、純粋な存在そのものなんだ。

あるいは、ケルビンのアイデンティティを持ちながら、私があらゆる条件反射に影響されるわけですね。

 

この二元性の世界では、やっぱり人とのコミュニケーションをしないといけないんだから、この身分とこの条件反射を使うのはもうどうしようもないんですよ。

だから必要なときは使う。

というと、この条件反射のなかでは、私の思考、私の観念・概念、私の感情、私の記憶、あらゆるものが全部、条件反射に属するわけですね。

 

そうすると、一旦その二元性の世界の用が済んだら、私がまたこの瞬間に戻ったら、何の影響もされないんです。

 

 

そうすると、たとえば目の前の過去と未来と条件反射のデータがありますけれども、

私は記憶をもっていますけれども、その記憶は私ではない。

感情をもっていますけれども、その感情は私ではない。

観念・概念は確かにもっていますけれども、でもその観念・概念は私ではない。

 

 

そうすると完全に思想、考え、感情、理性、五感もこの存在の私にとっては二元性に生活するのに必要な道具でしかないんです。

必要なときは使う。用が終りましたら一旦手放して、またその無限の純粋な意識のところに戻るというわけですよ。

 

 

そして、一旦この体験をしましたら、オーストラリアから香港に帰る飛行機の中で、その「何でもない」という純粋な意識状態にまた止まったんですね。

そのときはちょうど機内食を食べている時間です。

 

私は2人の香港の仲間と一緒にオーストラリアに行きました。で、2人とも食事をしながら映画を観ていたんですね。私もアイスクリームを手にしながら食べようと思った瞬間、またこの意識状態にはまったんですね。

そうすると、肉体の体は完全に止まった。

動こうとしても動けない。

だって、私は、ケルビンのその意識状態から離れたから、もう体さえ動けない。

で、まわりの人の話がはっきり聞こえてきます。

何をしているのか、何をやっているのか、それも全部はっきりわかっています。

だが、動けない。

で、5分が経って、やっとケルビンの意識に戻ったら、また動き出すことができます。

 

その後、香港に戻って何回もそういう体験がありました。

たとえば、地下鉄の中で、歩こうと思ったらまた入ってしまって停止した。

で、人と話していると、またこの状態にはまってまた停止した。

でも、やっぱり、本当の私と、偽我の私、あるいは条件反射のなかにいる、あるいは輪廻転生の記憶をもっている、観念・概念をもっているケルビンは私ではない、とはっきりはじめて実感できました。

 

そうすると、その体験のおかげでやっとわかったのは、

私は今まで、過去・現在・未来は一線のカタチでつながっているという錯覚のなかに陥ってしまっていたことにはじめて気がつきました。

でも、過去は、私の条件反射なんですね。

で、未来も条件反射によって、投影つくり出した幻。

実在しているのはこの瞬間なんです。

 

 

要するに過去と未来は時間をつくりました。その時間のラインの幻想を頭の中につくりましたけれども、私の存在はずっとこの瞬間にいるわけです。

 

 

さっき言いましたように、私の一呼吸もこの瞬間しか呼吸していないんです。

5分前の呼吸、5分後の呼吸はできないんですから、

この万象万物、あらゆるもの地球も全宇宙もこの瞬間に実在しています。

 

そうすると、やっとわかったのは、

私は過去と未来のその時間の幻想からやっと脱出できました。

そうすると、輪廻転生、条件反射は、確かに思えばいくらでも出せますけれども、

でも、この実在している瞬間と、何の関係もありません。

 

私はこの意識状態に深く入れば入るほど、もう万象万物とともに、この瞬間にいながら、そうすると、私のこの個人的な存在がどんどん薄れていくと、もう何かわからなくて、

とにかく存在そのもの、意識そのもの、この瞬間そのもの、そして万象万物、森羅万象の全宇宙とともに、この純粋な意識な状態に入ると、

私は実は「全宇宙、全世界、もうあらゆるものも実は私なんだ」という実感をしました。

 

そして、この意識状態のなかで、ちょっと「これは何なんだ?」と思ったら、自分のアイデンティティが動き出すわけですよ。

「これは悟りなのか?」「今の現象は何なんだ?」と考えると、またここに戻りましたので、だから本当の無形無双のその根源の体験は頭で考える必要がない。

感情・五感と、考え、観念・概念と全く関係ない。

それを完全に手放さなければ、ここに到達することは不可能です。

 

でも一つの問題なんですけれども「じゃあ手放せば行けるか?」と思ったら、実はまたこの時間の空想のなかにいるわけですよ。

だから「なろう」と思えば絶対になれない。

何もしないからといって必ずここに至るとはかぎらない。

 

もう完全にまるで降参する。 

「神様、完全に私の存在はあなたに任せます」みたいな、そういう姿勢であれば、到達の可能性は高くなるかもしれませんけれども、とにかく私が何かやろうと思ってできることではないんですよ。だからすっごく難しい。

もう矛盾している部分はたくさんあります。

とにかく一言で言えば、頭では理解不可能です。

だって、宇宙の広さ、宇宙の無限さを人間の知識で理解すること自体おかしいですよ。

 

だから私の体験から言えることなんですけれど、やっぱりこの覚醒体験ができたのは、やっぱり人間としての無智、愚かさ、もう本当にバカであることを全面的に受け取ってから、どんどんどん進んでいったのがきっかけなんです。

ですから、私はいつ悟るかわかりませんけれども、とにかく自分の無智さ、自分がどれほど愚かな者であるかを、ある程度認める勇気があればあるほど、自分のことを威張ったり、自分が人よりよく知っているという思いに、どんどんどんどん気がついていくようになりました。

やっぱり、偽我は何もわかっていない。どうせ条件反射しかわかりませんから。

必要なときはケルビンのアイデンティティをもちながらコミュニケーションはしますけれども、でも「私は絶対正しい」という主張はできなくなりました。

 

それと、ある程度の知識を使うのは当たり前なんですけども、でも本当にについては、人間の条件反射のなかにいるかぎりは、何もわかっていないことが、もうはっきりわかりました。


だから今までケルビンの知識、ケルビンが知っていること、ケルビンができることに、すっごく執着していたけれども、その気づきのおかげでもう全然興味がないんですよ。

だって条件反射は、真理とは何の関係もないんです。

 

で、悟るかどうかはとにかく神様に任せる。

せめて、このケルビンの発言、ケルビンの考え、ケルビンの知っている知識についての興味をそんなにもたないように注意をしながら、あるいは、自分の観念・概念に興味をもたないように努力すれば、あとは完全に神様に委ねることにするわけです。

 

そのおかげでこの2、3年間の成長というか、もう本当に不思議と思うくらい、どんどんどんどん進んでいったんですよ。

 

 

だから今、振り返ってみると、やっぱり時間の錯覚と、自分の無智さ、自分がどれほど愚か者であるかということへの承認は私にとっては一番大切な気づきなんです。

 

今、振り返ってみると、この3、4年間、もし沖縄のセミナーに来なかったら、こんな体験はもうほぼ不可能なんですよ。

やっぱり悟りたいという気持ちはあっても、悟ること自体もわかりませんし、自分が何者かもわからない。あらゆるものも全部、条件反射だということに気づかないかぎりは、覚醒するのは不可能なんですよ。

 

だから振り返ってみると、昨日先生の光話でおっしゃっていたように、ここに来られることがどれほど恵まれているのか、どれほど祝福されているのか、もう本当に実感しました。

で、もし先生と出会わなかったら、今生どころか、もう輪廻転生を100回、200回、一万回繰り返しても、多分不可能です。もう希望ゼロです。

だからここまで来られるんでしたら、皆さんとともに、時間があれば沖縄のセミナー、先生のセミナーはどうぞ、どんどんどんどん来てください。

 

私も今年、先生のセミナーは38日間参加しまして、後半も同じ38日間です。

 

2年前の私にすると、もうこんなに先生のセミナーに参加するのはもうありえない。

と思っても、結果としては、ここにいたわけですね。

 

最後の一言なんですけれども、もう本当に先生には言葉には表現できないくらい感謝の気持ちでいっぱいだし、皆さんがここに来られることがどれほど祝福されているのかわかったら、ぜひ、その真理についての成長を一緒に頑張っていきたいと思います。

 

私の体験は以上です。

 

どうもありがとうございました。